黒瀬珂瀾「遍在化への誘惑――中澤系『uta 0001.txt』」





  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

 多くの読者は、おそらくこの一首目に大きな衝撃を受けつつ歌集を開くことになるのだろう。「これは完璧かもしれないと思った」(穂村弘)「ひっくり返されたときの衝撃」(横井典子)。歌集が出る随分前からこの歌は、中澤系という歌人の登場を箴言風に宣告する一首として僕の心に突き刺さっていた。だが、ここでふと気になることがある。「理解できない人」は世界中の人間だとして、この一首の発話者はいったい誰なのだろう。作者自身だろうか?

  糖衣がけだった飲み込むべきだった口に含んでいたばっかりに
  牛乳パックの口をあけたもう死んでもいいというくらい完璧に
  駅前でティッシュを配る人にまた御辞儀をしたよそのシステムに

 中澤系という歌人の出現はインターネットの急速な普及と不可分だ。仮想空間における情報のやり取りが、いつしか我々をしてプログラムやアプリケーション、画像データなどヴァーチャルなものに対してあたかも物理的な存在感を感じるようにならしめた。本書の巻頭作が「uta 0001.txt」と題されているのは象徴的だ。txt はテキストデータであることを示す拡張子である。紙にプリントアウトすれば物理的な存在となるが、その本質は新たなリアリティを獲得して、パソコン内部とネット空間に存在する「情報」なのだ。
 ネット空間では連日多数の情報が発信される。それはユビキタス(遍在的)であり、匿名性が強い。最終的に人間の意識はネットとの伴走をもってそのパラダイムを変換させていくだろう。情報の遍在化は人間意識のネットへのシンクロニシティを喚起する。俗に言う「ネット短歌」にも、それによる「私の流動化」や「私の遍在化」の傾向が伺えるが、中澤系はその黎明期にあって最もラディカルな形で深淵に臨んだ歌人なのだ。従って、冒頭の引用歌の発話者は「世界に遍在した意識存在」と言うことも出来るのではないだろうか。そこには近代的な「私」への激しいまでの懐疑が存在する。それを経て初めて短歌は現代の「意識」の支持体となりうる。
 必然的にこの歌集にはネット媒体をくぐって変容した日本語の影響が見られる。

  フェイクだよ三角くじの内側を見ずに行くべき方角を言え
  ガラス窓ごしにあなたは声のないじゃあ、ねを言って立ち去ったはず
  そのままの速度でよいが確実に逃げおおせよという声がする
  シミュレイトしましたあとは箱詰めの部品をそこに置けばいいです

 初句断定的な発言、句読点によるアクセントの過剰な文字的反映、主体の霧散化傾向、舌足らずな装いによる韜晦。そうなのだ、加藤治郎、荻原裕幸、香川ヒサらの文体の摂取を得て、中澤系は「この誰のものでもあり、誰のものでもない」文体を深化させ、新たな地平へと到達するはずだったのである。

■初出:「未来」7月号(未来短歌会、2004)
■中澤系歌集『uta 0001.txt』(雁書館、2004)


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