孤食化の昼餉だれかの失笑をいくらで買うか値踏みしていつ
周囲に大勢の人間はいても、それぞれが孤独で、しかも、どうしようもなく救われない。互いに冷笑を向け合うばかりで、誰もが本心で付き合おうとはしない。皆、与えられた役割をこなすことで人間関係を構築している。むしろその方が平穏な生活が送れる。そんな「時代」という戯れ歌への反歌としてこの歌集は生まれた。それを直裁的に示す歌がある。
であるから事の次第にことほぐか街から摘んだ音そこにある
それはただ切ないだけの足跡できみはアスファルトに接吻(キス)をする
それならばこの世の母を除菌せよ先ずははそはの母の眸を
これらの歌が発生する前提としてあるものは、まさしく「街」と「社会」である。しかし、それらは一首の中には描かれず、読者に既に共有された原感覚として処理される。初句がいきなり接続詞的に始まるのは、これらの歌が、著者と読者の共同理解である「病んだ現代」という「歌」を受けた形で詠まれているからだ。
また、ここに描かれた「都市」とは、文明の憂鬱に閉ざされた空間である。それを描写するために、この歌集では、精神的ランドマークとでも呼びたくなるさまざまなキーワードがむき出しのままでちりばめられている。
東京は狭くて深いスノビズムまことに遺憾ながら淫する
生活感などなくていい真夜中の<ドンキホーテ>で護謨の樹を買う
離脱せよ午前零時のコロニアル見ろよ風俗嬢の小走り
たまさかに性同一性障害と診断されて犬とじゃれあう
またしてもトランキライザー舌にのす真夜われのみの耳鳴りやさし
「ポストモダニズム」「クライシス」「ルーティン」「オーガニック」「サイケデリック」「フェティッシュ」など、通常の短歌ではそのままの使用は避けられる「生な」用語が多用される。それは、単純な抒情に回収されることを拒み、都市の攻撃性を浮き彫りにする作用を持つ。その他にも生活に漲る陰性のエトスや、都市に零れるトポスやアイテムが濫用され、その息苦しさが描かれている。
これらの文体には藤原龍一郎など先達の影響が大きいように思われるが、その中でも菊池が先鋭化させていったのが、「都市譚」の章に多く見られる、下句における句割れ句跨りの駆使である。
カードキー差し込む間際かならずや疼く脳髄の立暗(たちくらみ)
電磁波を浴びてうれしい人体の<OS>ひとりでに作動せよ
どうにでも解釈できる一瞥が心を腑分けしてやりきれぬ
どこか引っかかりを持ちながら、読者にある種の酩酊感をも与えるこの文体は、ただ時代に慣らされていくことを良しとしない作者の思想を代弁しているのだろう。
文体。韻律。用語。思想。短詩形が持つアスペクトの全てから疾駆することで、この歌集は時代の批判者たりえている。しかし、その疾駆する先はあくまでも「時代」である。
つぎつぎとATMの破壊されてもかまわない日常だから
批判者として時代を俯瞰するのではなく、生活者としての声なき叫びを詩に刻印する。まさしく菊池は日常に「淫する」のだ。
■初出:「開放区」71号(2004/10/1)
■菊池裕『アンダーグラウンド』(ながらみ書房、2004・8)
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