黒瀬珂瀾「朗読に思うことなど」(3)





 今、僕の手元には『國民詩朗讀のために』という本がある。昭和十六年六月初版発 行で、僕の持っているのは十七年十二月の再版分だから、それなりに売れたのだろ う。大政翼賛会文化部長であった岸田国士が序文を寄せている。著者は榊原美文(よ しふみ)(1902年生)、当時大阪市立中学校の教諭であり、国民詩朗読運動の理論的 中心者・活動者となった人物である。国民詩とは、戦争賛美・戦争協力・戦意高揚の ための詩作品のことで、第二次大戦下、それらを朗読させることで政府は国民精神の 作興をはかった。学校は朝礼や学芸会などの時間を通して、積極的に運動に参加し た。榊原は集団朗読によって国民詩朗読運動を普及し、戦争遂行の国策に協力しよう としたわけである(僕は決して榊原氏を非難するつもりはない。この本から榊原氏が 高潔清廉実直な人物であっただろうことが窺える。まあ、そのような人格者であった からこそ戦争協力に邁進したのだろうが)。

 この本は具体的な朗読技術の紹介のために書かれたもので、その記述も技術論に特 化している。そして、残り半分は朗読するに相応しい国民詩のアンソロジーとなって いる。読んでみて驚くのは、発声法からアクセントのつけ方、読みの緩急や声の大き さで感情を表す方法、舞台の設営や演出など、現在の詩歌朗読に関して言われる技術 はこの一冊で言い尽くされているということだ。予想外だったのは、BGMによる演出 もよりよい効果のためには奨励されているという点だ。足りないのは踊ったり体を動 かしりする演出と、現在の機材を使った演出くらいだろうか。

 そして、国民詩朗読と現在の朗読が大きく違う点がある。国民詩朗読はもっぱら 「集団朗読」「群読」であったということ、そして、朗読されるのは専門詩人の作品 ばかりで自作朗読はほとんどなく、また詩人自身はほとんど朗読をしていない点だ。

 ここで求められるのは、完全に統制された技術に基づいた朗読の美しさである。す べてのタイミングは計算され、ある一つの指揮の下で演出される。朗読者の個性は問 題にされず、朗読されるテキストもつまりは「お墨付き」の与えられた、内容の均一 化したものである。

 シンガポールは、いま、落ちた。
 シンガポールは、つひに、落ちた。
 ユニオンジャックは、引きおろされた。
 さきに 香港を失ひ、
 いま シンガポールを失ひ、
 海賊ジョンブルの 野望は 敗れた。
    榊原美文「シンガポール陥落」より

 もっとも重要なこと、それが「こえにだすときもちいい」ということなのではない だろうか? 声に出すということを通じて、朗読者の集団はそれぞれの個性を失い、 そして、朗読者のみならず観客をもふくんで、全体主義の朗読空間の下に参加者を一 致させる。それが辺見が不快感を示した「おしつけがましい情緒」の正体だろうか。

(つづき)


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