黒瀬珂瀾「至福の視野 由季調歌集『互に』評」




  べうしんを目でおひゐればさゐさゐのなかから刻めるおときこえきて

 この一首をどう読み下すか。一瞥すぐに意味が取れる単語は「目」と「刻め」のみ。どこで語が分割されるかも容易には判らない。従って読者は、一文字一文字ごと、同じ滞空時間を費やして音を確認してゆく。必然的に初読では抑揚やリズムは生じず、単調な音の連なりとして一首は顕現する。だが、実はそれこそが作者の意図した点ではないのか。

 歌は誰かへの語りかけである。その誰かが「世界」であっても良いし、さらに言えば、「世界」を認識し、その中心にいる「私」であっても良い。呟くように一音ずつを零す様子には、目の前の光景を自らに言い聞かせ、確認するような響きがある。平仮名書きの歌で埋め尽くされた本歌集は、決して大和言葉の優雅さや音律を追究した一冊ではないのだ。

  かくれぬのあなたのそこひ底におりてゆくそれよりいつそかひなのなかへ

 一読相聞歌が目立つが、「あなた」の姿は明らかではない。「あなた」は私にとって隠れた沼であり、私がゆくべき場所として描かれている。それは、「あなた」を描く事よりも「あなたがいる」ことを確認する事に作者が喜びを感じているからではないか。

  ゆびさきにすこしべとつくぱすてるの白ぐわようしに白をうかべぬ
  じくうからきりはなされてまひるまは白もて白がうしなはれゆく

 過剰な白で満たされた世界は、昭和初期のモダニズムを思いださせる。しかし、具体物を白く染めたモダニストとは違い、作者は無心に視野に白を重ねてゆく。世界を均一な空間として感じるのではなく、歌うことで世界を均一化させてゆくことを願う。そこには静かな悲哀の裡に灯る、幽かな安息がある。

  さにつらふいろのほのかなつきのよにら羅のおとでないふえふきゆかな

 色彩描写が希薄な本歌集において、色を詠んだ歌は却って印象深い。ラにあえて画数の多い字を当てることで重要性を強調している点からも、作者が視覚情報の操作に意識的であることが判る。大切な物を失って彷徨する私を、ほのかに紅づいた月の光が包み込む。その時、色彩は全世界を覆っている。

  あおぞらがはるかうみまでつづくのは青をそそぎにゆくためだらう

 同じくこの一首でも、視野が鮮明な青で染め上げられている。視野はそのまま私にとっての全世界であり、それは純粋かつ完全な調和の取れた、夢想の空間なのだ。

  あゐいろのわづかにのこるいんくびんかたむけながら未明にをりぬ
  かうすいの瓶たふるればかくれぬのそこへかをりのしづもりてゆく

 作者の鋭敏さを最も良く示しているであろう歌。薄闇の中、唯一清らかなインクへ心を寄せる私。こぼれた香水の雫に吸い込まれそうな私。世界に一点現れた「染み」…もしかしたら、そこが出口なのかもしれない。

  かなしみをまとはせぬやうかなしみのまづしきことばに奏でらるるも
  あさなさな ちひさなはながひとつさく うたつてゐたらしあはせなのよ

思えば我々は《幸福な近代》から随分遠くにまで歩んでしまった。その中で、ただひたすらに至福を一つずつ歌で確認し、歌に追い求める姿は悲しく、そして、無上に美しい。





■初出:「短歌往来」6月号(ながらみ書房、2006)
■由季調『互に』(ながらみ書房、2005)



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