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2005年09月23日
白の会九月歌会
歌会やります。興味のある方は、どうぞ。
9月23日(金・祝日) 午後1時半から5時まで 大塚公園集会所にて
お題「月」1首および自由題1首の、以上2首を22日深夜までに黒瀬珂瀾へお送りください。
2005年09月08日
9月8日
★朝一で見沢知廉さんの訃報を聞かされた。自宅のマンションより飛び降り自殺。どうして死んじゃうかなあ。ここしばらく、経済的に苦しいとずっと繰り返してはいたけれど。本も『調律の帝国』の文庫が数年前に出たっきりだし、しかもすでに絶版だし。でもねえ、なんだかなあ。
書くということを目指して、結局書けないままだったのかもしれない。見沢さんは、自己の内面から描くべきことを掘り起こしてくるタイプだったのかもしれない。長い獄中生活が一旦は見沢さんを世に送りだす契機とはなったが、さらに書き続けるためには、自己の経験以上のものを内面から引きだすという荒行が必要だったのかもしれない。
とにかく、悲しいです。
★お仕事ではデスマーチが本格的にはじまりました。ガンパレードマーチのほうがいい。
★「井泉」5号、三木昌子さんより「母衣」4号とどく。毎日の酒井さんより2首の依頼。保坂正康編・吉田満著『「戦艦大和」と戦後』買う。
★『苺ましまろ』は録画だけして寝落ち。貯まる一方だな、こりゃ。
★ああ、見沢さんの本、一番新しいのは評論集か。
2005年09月07日
西川魯介『野蛮の園』
えー、世の中にはロボコンなんてものがありまして、ときどきNHK的に感動な物語が放映されてみたり、長澤まさみがかわいかったりするわけですが、では、ロボコンに出る人が通ってる学校てどんなところ?
人、それを高専と呼ぶ。
というわけで、工業高等専門学校を舞台とする珍しいマンガ。機械工学に青春をかけた若者たちの感動巨編です。
嘘です。
基本的には機械と眼鏡とショタとネコ耳と暗黒神話とナチスです。登場人物はことごとく人格破綻者。すべてのコマにネタがある。物語なんてどこへやら。おおっ、総統、歩けます!!
当事者でないと、外部からはうかがい知れない世界とか空間とか仕事とか、世間には意外といっぱいあるわけですが、たとえそれがどこであっても、そこには楽しいことがあるし、青春があるし、バカの波動力があるわけで、なんかいい感じになれます。そりゃ養老先生も、片眉剃って、「バカだ!! バカの壁だ!!」と叫ぶわけです。あー、でも友人のお話によると、本当の高専には、こんなに女の子いないそうです。
10月に3巻が出るので、予約するが吉。
投稿者 Karan : 01:30 | コメント (1) | トラックバック
9月7日
★長らく懸念だった原稿が、ようやく一段落ついた。でも、長らく懸念な原稿がまだいっぱい(以下略
★実家経由で、角川の短歌年鑑の記載事項確認の手紙が来た。年鑑に掲載する5首選の依頼はこっちに直接届いているのに、2つが別れてとどくなんて、どーなっちゃってるのかな。
★『甘えないでよっ!!』#8「濡れないでよっ!!」
なんだか、とってつけたストーリーらしきものが動き出しましたが、基本はどーでもいい感じの。『TLB』は録画だけして寝落ち。
2005年09月06日
三角みづ紀『オウバアキル』

オーバーキル……本来は過剰な景気抑制策を意味する経済用語だが、最近ではテーブルトークやオンラインなどのRPGの分野で良く聞くようになった言葉だ。一般的には「過剰殺傷」と訳すことが多いか。つまり、生命力が僅かしかないキャラクターに過剰なダメージを与えて殺すこと(例えばHP10の敵に1000Pのダメージを加えるとか)。もしくは、ゲームバランスが悪くてプレイヤーが簡単に殺傷されてしまう状態を指す。そのような言葉を表題にした三角の気持ちは良くわかる。三角にとって、世界とはオーバーキルなフィールドなのだろうか。
私を底辺として。
幾人ものおんなが通過していく
たまに立ち止まることもある
輪郭が歪んでいく、私は腐敗していく。
きれいな空だ
見たこともない青空だ
涙は蒸発し、雲に成り、我々を溶かす酸性雨と成る
はじまりから終わりまで首尾一貫している
私は腐敗していく。
「私を底辺として」より
しかし、この詩集を「メンタル面に苦痛を抱える女性の手記」などと捉えるのは、あまりにもつまらない。ここにあるのは「なにもないということ」ではないのだろうか? 平明な言葉とは、空虚の中から紡ぎだされる。価値の網の目の中で「透明化」していくことを選べば、それは自傷の影でカモフラージュされた刃とならざるを得ないだろう。そこに、「むき出しの心」などというものがあると誤解してはいけない。
たしかに、「わたくし」という深淵に墜ちかけている作品も散見されるが、その崖っぷちで必死に留まろうとしている三角の格闘に、ボクは共感を覚える。だから、三角の次なる作品集を心から期待する。
とりあえず、アマゾンのレビュー欄で喚いている輩は、無視しておいていい。
投稿者 Karan : 01:11 | コメント (1) | トラックバック
9月6日
★長らく懸念だった頼まれ仕事が、ようやく一段落ついた。でも、長らく懸念な原稿がまだいっぱいある(泣)。
★シュロスベルグ産「ピースポーター・ミヘルスベルグ」のアウスレーゼ。まるでジュースのように甘くてすっきりした白ワインだった。これはうっかりすると飲みすぎるな。アウスレーゼでこの甘さなのだから、本当に高糖度のドイツワインってむちゃくちゃ甘いのな。以前、アイスワインをもらったけれど、水で割って飲めるくらい。
★『攻殻機動隊2nd』は2話分放送。『かみちゅ』も録画しただけで見てない。
★いともかんたんに「純潔教育」へと誘導されるかわいそうな童貞たち
まあ、純潔志向も、民族主義も、管理社会志向も、排他主義も、根はおんなじだと思うんですけどね。といったら乱暴ですかね。ワンフレーズポリティクスにしろ、対話形式による詐称にしろ、劇的なものを良しとする価値観は、アノミー社会の特質でしょうか。全てが「ただのコンテンツ」として並列される社会の危険さはしっかり認識しておいたほうがいいのかも。アンケートに「政治に興味がある」と答える人が、選挙に行くと思ったら大間違いな気がする。
2005年09月05日
道満晴明『続・性本能と水爆戦』
吾妻ひでおの正統な後継者として令名高いんだか高くないんだかよくわかんない道満晴明(どうまんせいまんと読みます)、4年ぶりの続編。ということで、一応成人コミックの範疇に入るのでお子様もしくは性描写の苦手な方にはお勧めいたしません。世界の不条理さと残酷さ、そして下らなさをファンタジックな絵柄で表現するとこうなりました、という一冊。猛スピードで繰り広げられるショートショートの嵐の中に、いいことも悪いこともみんな詰め込んじゃいました。あとはとりあえず読んでみて、脳みそをシャッフルすればいいだけ。もう意味分かりません。
9月5日
★中野区と杉並区が水害にみまわれたようだ。黒瀬の家は高台にあるのだけれど……。
★選挙が近づいている。候補者のアピールがあの手この手のアピールが繰り広げられている。 それにしても、社民党比例単独候補の保坂展人のブログが。
オタクバッシングを考える その1
オタクバッシングを考える その2
「エロマンガがよくないというなら、人殺しの場面ばかりの時代劇や戦争映画、大河ドラマをなぜ禁止しろと言わないのか、子どもたちが真似をする殴り合いの格闘技の放送がなぜ問題にならないのか。しかし、テレビに出ているコメンテーターは決してこんなことは言わない。多数派の嗜好だからだ。その代りに、エロマンガのような市民権のない少数派の嗜好に犯罪の原因を求め、規制を強化して安心する。」
警察国家志向への牽制なのだけれど、こういう発言をした政治家って初めてのような気もする。保坂候補にはAMIもお世話になっているのだけれど、だからといってそのまま社民党に投票してよいか、というのは別の話。
★グリーントライアルの有志の人たちのサイト。ここ読むと、自民、公明はもうとんでもないし、共産もアウトってことに。どこのどなたに入れればいいのですかね。
★黒崎あかね歌集『草原の椅子』、天草季紅『遠き声 小中英之』届く。小中論はなんとか時間つくって読んどきたい。
2005年09月04日
吉本蜂矢『デビューマン』2巻
本屋をふらふらしてると『デビューマン』の2巻を見かけた気がしたので、ああ、とうとう疲れのあまり幻覚見るところにまできちまったか、知り合いのメンタルカウンセラーに予約入れておこう、とか一瞬思ったりしたんですが、7年ぶりですか、そうですか、下手すると小学生が大学生になってしまいますよ?
それぞれの極めて切実かつ下らない理由により家を出て共同生活を送る男子高校生三人の物語。基本的に物語は全て男子高校生のエロスに賭けるパワーによって動かされるというか、それしかないというか。しかし、とめどもなく連発される言葉の心地よさは、一体なんだろうか。とてつもないスピード感の真っ最中に、等身大の高校生以上に「等身大の高校生」を描ききった名作。千差万別のノイズに満たされているうち、ああ、十代の日々は、確かにノイズそのものでしかなかった、ということを思い返させてくれる。猛烈な勢いですぎてゆく、汗と涙と精液が全て一緒だった日々に、真っ正面から投げ込まれる「仲間」への言葉。それはあまりにも懸命で、切ない。
9月4日
★「アタック25」をぼーっと見ながら昼食なんて、何年ぶりか(笑)。豪雨が。
★アキバのパセラにて、マイミクのmashさん主催の「オタ報道ビデオを見るオフ」に、ちょっと挨拶に行く。先日のEZTVでの「オタクに恋する乙女だち」の特集に衝撃を受けて、急遽開催されたオフ。いろいろなニュース番組の(偏見にまみれた)オタ特集報道を笑って見よう、という趣旨。アニメなどコンテンツや出版物なら保存されるけど、こういうニュース報道は、まずソフト化されないので、残しておくことも大切かな、と。大昔TBSがやらかした「ここには15万人の宮崎容疑者がいます」っていう伝説のコミケ特集、だれか持ってないかな。
★江草天仁のびんちょうタン同人誌『色びんぼん2005+DVD』、ユキヲ『ミルクキャラメル』と限定下敷き、入手。
★ウエノポエトリカンジャム3に行く。リーディングの世界には、まだまだ不思議なものがいっぱいつまっている。パフォーマンスとメッセージが重視されがちではあるのだけど、もちろん、その奥にロゴスの神秘が顕現する瞬間がある。黒瀬的にはアーサー・ビナードさんの淡々とした朗読がよかった。一部、アジテーション系があって辟易したけど。アーサー・ホーランドってどうよ。
その後、こっそりと打ち上げに紛れ込む。しかし歌人は沼谷香澄さんと出演者の伊津野重美さんしか来てなかったな。ちゃんと見ておいたほうがいいよ、こういうシーンを。
★『ぱにほにだっしゅ』#11「名馬に癖あり」
べホイミとメディアの爆弾解体の話。どうしてアニメになると、こんなにダルダルなのか。
追記
いつのさんからメールで、上記のお二人以外に、ウエノには白糸雅樹さん、佐藤有希さん、田中創さんがいらしてたそうです。反省。
でも、歌人も俳人も定型詩人は、もっと朗読とか聴いといたほうがいいよー。
2005年09月03日
内藤高『明治の音―西洋人が聴いた近代日本』

黒瀬の恩師の著作です。イザベラ・バード、エドワード・モース、ピエール・ロチ、ラフカディオ・ハーン、ポール・クローデルなど、幕末維新後に来日した数多くの西洋人たちが、日本のどういった音に何を感じ、どう記録したのか。異文化による視線を通じて、十九世紀後半から二十世紀初頭までの近代日本の音をめぐる一冊です。異文化同士の出会いがどのような葛藤や拒絶を生み、どのような称賛や羨望をよび起こすのか。社会を構成する要因としての「音」に注目した、卓越した比較文明論です。それはおそらく、「明治」と「現代」の文化の差異をも浮彫にしてくれるのではないでしょうか。来日した西洋人たちが見たのは、まさに「江戸から東京へ」移り変わろうとする「変化のるつぼの姿」。訓練が容易な「視覚情報」と比べて、「聴覚情報」に対する反応は保守的になりやすく、観察者の内面を見事に反映しています。そこに、彼らの文化的志向……ジャポニズム、オリエンタリズム、エキゾティシズム、西洋文明至上主義、リベラリズム、西洋文明忌避論が立ち現れ、当時の文化的交差の一面が明らかになっていきます。「近代日本」が西洋からどのように受容されていくのか、を「音」の側面から追及したスリリングな文明論。
9月3日
★ハニーと一緒に白山の共信印刷へ。サンクリでSEED本を出すから……ではありません。小一時間ほど入稿、印刷その他に関して話を詰めたり質問したり。ホントにここ、玄関とかにDr.モローの絵が貼ってあるのね。
★その後、夕方から渋谷へ。東急文化村にてギュスターヴ・モロー展。別にDr.モローの絵を見たから思いだした訳ではない、と思う。
モロー美術館の所蔵品だけで構成された展覧会で、「なじみのある作品とその習作」という塊が並べられたような印象。モローの新たに知る一面、というものはあまり感じられなかった。もちろん、「出現」や「サロメ」などの傑作を観賞できたので満足ではあるけど、メトロポリタンで見た「オイディプスとスフィンクス」もここにあればいいのに。Bunkamuraミュージアムの展覧会は、いつも物足りないのはなぜだろうか。カタログは買わず。
★もんじゃ焼きで夕食。関西人にはこの食べ物は難しすぎる。隣の席の女の子二人がものすごく上手に焼いていたので感心する。その二人ともが、焼けるのを待つ間『NANA』をずっと読んでいた。人気あるのね。
★「北冬」No.2届く。深夜、ついつい、映画『MOON CHILD』をぼーっとみてしまう。多言語空間に住む移民の風景に共感する。瀬々監督ファンの黒瀬としては、公開時に劇場に行ったが、館内中おにゃのこいっぱいでびびった記憶が。
2005年09月02日
『中井英夫戦中日記 彼方より 完全版』

中井英夫にしろ、澁澤龍彦にしろ、そろそろ、一つの「昭和文学」として考察されるべき時期に来ているような気がする。ついでに言えば、中井や澁澤(もしくは赤江瀑や塚本邦雄の小説なんかもそうか)の作品を、無批判に絶賛するような地点からは、今後、何も生まれないと思ったりする。
その意味では、この中井の戦中日記の《完全版》が刊行されたことは、喜ばしい。戦後という「時間の獄舎」の中で、中井が一体何にとらわれて来たのか。今後、この日記が多くの諸家に精読されることを願う。
もう一点としては、この日記には、存在をかき消されそうになっている「戦中派青年」の姿がある。戦時下の日本人が本当に凛々しく、勇敢で、真摯であっただろうか。そんなことはないと思う。戦争に倦み、戦争を嘲笑し、「高邁な精神」に唾を吐きかける青年たちがあふれていたはずだ。
「政治的な思惑」が偽造しようとする日本人の姿とは何か。「現代の虚妄」が抹消しようとする日本人の姿とは何か。それを考えることが無くては戦後という時間の檻は開かれないのだ。
9月2日
★イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』を古本屋で買う。300円。高島裕個人誌「文机」7号、届く。
★なぜか、池袋東口のモツ焼き「男体山」でハニーと飲んでた。ホントはレバ刺しが美味しいんだけど、ちょっとお腹が心配なので、焼きモノのみ。おっさんパワーにあふれた空間。
ちなみに、こんなお店。
★『ぺとぺとさん』#9「一日署長」
ものすごい勢いでどうでもいい話になっていくような気が。父親初登場という意味はあったけど。
★佐藤理江第二歌集『箱船』の批評会が10月8日に、日本出版クラブで。黒瀬は出席するつもり。
佐藤さんのサイト。
2005年09月01日
唐沢俊一・おぐりゆか『唐沢先生の雑学授業』
なんだか、ちょっとしたトリビアブームですが、雑学漫才というのはありそうでなかなか難しいスタイルですね。単に羅列しただけでは、やはり知識は生きてこないと思うんですよ。ある文脈におかれて語られることで、連鎖的に新たな知識が引用され、どんどん話があらぬ方向に進んでいく。しかも、実際は何の役にも立たない知識がネタとなっているのだから、これまた楽しい。
でも、世間でトリビアなんて単語聞くことになるとは思わなかった。短歌の世界で「トリビアル」というと、「瑣末主義」とでも言った意味。「トリビアルな描写に優れた」と言えば、「細かな観察眼と繊細な描写力を備えた」という褒め言葉だし、「トリビアリズムに陥った」と言えば、「瑣末な出来事にとらわれすぎ」もしくは「文法や表現の些細な差を重視しすぎ」というけなし文句になる。
まー、だいたい、マイナスイメージの批評用語ではあるんですが。
9月1日
★寝不足かな。頭が働かない。気付けにコーヒーの2リットルパック買ったけど、一口飲んだだけで、飲むの忘れた。
★三省堂書店有楽町店にて、唐沢俊一先生のサイン会。仕事場から至近距離なので出かける。随分な行列。ざっと100人くらいだろうか。唐沢先生にご挨拶、「からん卿さんへ」とのサインを頂く。ありがとうございました。おぐりゆかさんをご紹介いただいた。この本の表紙の撮影の時、おぐりさんのセーラー服用ネクタイを用意するのを忘れられたのだとか。そこで、アニメ夜話収録の時の、赤いネクタイを蝶結びにした黒瀬のスタイルを思い出されて、急遽、普通の赤ネクタイをリボン風に結んでみたら、いい具合になった。というのは唐沢先生の日記にある通り。
帰宅して、おぐりさんのサインをよく見たら、横に吹き出しで「ネクタイ。」と書いてあった。
★現代詩文庫『岩佐なを詩集』が届く。感謝。
★『苺ましまろ』は台風情報でおかしくなった先週話「そいね」が無事再放送。その後、#6「真夏日」。うーん、あんまり印象に残ってない。